イスラエル軍事裁判の疑問



     

      多くの疑問を残したテルアビブ虐殺事件ー私

を担当弁護士に駆りたてたその疑点とは何か

             弁護士  庄司 宏

 

テルアビブ・ロッド国際空港における虐殺事件について、私が生残り犯人とされている岡本公三の弁護を引受けて、イスラエルの軍事法廷に立つ決意をするに至った経緯は、私がテルアビブで入国を拒否されたのちパリに帰ってから、イスラエルの弁護士会長およびクリッツマン弁護士(イスラエルが岡本につけた国選弁護士)に宛て、再度日本人弁護士の入国を強く要請した7月6日付書簡にかなり詳しくのべているので、これをまず掲載させていただく。


クリッツマン弁護士へ

 -私が、本件についての第一報を読んだとき、そのテリブルな事実にショックを受けました。3人の日本人によるプエルトリコ巡礼者たちを含む市民の血の虐殺、この犠牲者に対し心からの同情を表明します。(略)

 私は、事件の正確な姿を知るべく全力をつくしました。

 しかし、本件の正確な姿を掴み得るような実質的なデータは無かったのであります。私には、第一報は、大量虐殺を「画き出す」ように意図されたものの如く思われました。報道は次のように言っています。

 「パレスタイン・ゲリラに雇われた3名の日本人は、自動小銃と手投げ弾によって空港旅行者の大量虐殺を演じた。それによる死者28名、負傷者70名以上、雑踏のなかで、旅行者たちは、3名のガンマンによる一斉射撃の的になった。この3人は、・・・・トランクから武器を取り出し、群衆に向かって無差別に発砲し、・・・(略)」

 しかしながら、それに続くニュースは、具体的事実について何らの報道をしておりません。たとえば、犠牲者の性別、年齢、職業は、(犠牲者の中に警官や武装警備兵はいなかったのか)守備側の対処銃撃はなかったのか、誰の弾が(日本人のか、守備のか)誰を殺したのか等々。()

 一方、公判が1週間位のうちに開かれるという報道がありました。これは一体どういう意味なのでしょう。被告人側の防禦のための時間が全く与えられていません。私は、もしこのような状態で裁判が開かれたなら、本件の真の事実を明らかにする機会が全く失われることを恐れたのであります。()

  本件の実体について、新聞報道が全くないということは、私をして、イスラエル警察当局が事件の諸事実を世界の眼からかくしているのではないかとの疑わしめたのであります。

 さらに言えば、岡本は軍事法廷で裁かれるのでありますが、軍事法廷は、真実を明らかにするよりも、国家の安全の絶対的優先をとるのではないかと恐れるのであります。

 しかも、このような傾向は既に見られます。報道によると、プエルトリコ巡礼団の団長から証言を得るための予備的審理が6月22日2時間にわたって行われたとのことでありますが、私は、イスラエル政府の影響から自由であろうイスラエル国民ではないこの重要な証人の取調べに、2時間という時間は短すぎると考えるのであります。(略)

 さらに、国が、岡本につけた通訳は、法廷審理のために十分な訓練を受けておらず、このため法廷における岡本の陳述に対する重大な誤解を生じているのであります。

 イスラエル新聞局の発表によると、岡本は「裁判の事実を拒否しない」と言っておりますが、このことを、「岡本が起訴状の事実を認めたものであろう」としています。しかし、私は、はっきり断定できるが、彼は起訴状の事実は認めていません。彼が言わんとしたのは、単に公判を拒否しないということです。日本で革命的意識をもつ学生には、法廷を正義の法廷として認めない旨の意思を表現し、しばしば出廷を拒否することさえあります。()

 テルアビブよりの最近の報道によりますと、被告人は日本人弁護士の任命を求めている由です。しかしイスラエル国によって任命された岡本の弁護人は、岡本に対し、イスラエルの法律は同国の法廷で外国人、弁護人の活動を許さないので、政府は彼の希望に許可を与えないと説明した由であります。私はこのことが真実かどうかを疑います。本件の場合、岡本にとっては、彼自身の防禦のために日本人弁護人を持つことが、ヴァイタルな条件であります。いったい法廷での日本人弁護士の活動がイスラエル国家の安全を脅かすと考えることができるでありましょうか。

 イスラエルは、岡本が死刑または無期の判決を受け得る前に、彼が全く信頼し得、かつ何事についても自由に語り得る人間と、事件の真実につき話す最後の機会さえ奪うのでしょうか。私はそんな事はないと信じます。

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 この手紙は、イスラエルの弁護士会に対し、弁護士としての職業的連帯感に訴えて書いたものである。

 現在イスラエルは、隣接のアラブ諸国と戦争状態にあり、国内では「緊急国防令」が施行されて、国家の安全、軍事的必要から一般市民の住居、移転の自由さえ軍司令官の命令一本で厳しく制限を受けている。また軍司令官の命令に違反した市民は、通常の裁判所ではなく、軍事法廷で裁判を受ける。この軍事法廷は、軍隊内で軍人の犯罪を裁く軍法会議とは別個のもので、軍事法廷という意味は、主として裁判官が軍人(裁判長は少佐以上の階級の軍人)であるという点にあるとされる。

 この軍事法廷は、一般の刑事訴訟法の適用の下に訴訟が行われているようである。

 私は、イスラエルが、このような非常時体制下にあることは十分承知しているが、同国が「民主主義国家」であるならば仮に「裁判」と名付けられる機関によって、犯罪の審理が行われる限り、裁判における民主主義原則すなわち「適正な手続きによる審理」、特に無罪の推定を受ける被告人の人権の尊重と防禦権が保証されねばならないと信じている。

         事件の筋書きは新聞がつくる

 今回の事件については、イスラエル政府新聞局が、洪水のようなニュース速報を出している一方、各社特派員の取材活動は、例の「緊急国防令」に基づくのか、きわめて制限されているという事実がある(これはパリで新聞関係の人々から聞いたことだ)

 私はこの話を聞いて、事件のセンセーショナルな第一報後、事件の実体関係について新聞が全くニュースを供給しない理由が理解できた。日本とは言わず、どこの国でも死者、負傷者が百名以上も出たような大事件が起きた場合、各社の特派員は、現場の模様から、被害者やその家族のインタビュー記事等を写真入りで報道するのが常識である。今回は、それが全くない。

その上、テルアビブ・ロッド空港が、きわめて当然に厳重な警備体制がしかれているはずであるのに、日本人三人の攻撃に対し、守備兵がどのように応戦したかについて全く沈黙が守られている点である。御存知のように、イスラエルで外国に通ずる港は、空・海を含めて、現在テルアビブ空港が唯一のものである。それだけにこの空港が、イスラエルにとっていかなる点からもきわめて重要な拠点であることは判ると思う。しかも、アラブ諸国の国境(=戦線)からは十数キロと離れていない。このような拠点におけるイスラエル側の警備体制がどのようなものかは想像がつくと思う。しかも、あまりにも大胆なこの三人組の攻撃には、背後にあるアラブ・ゲリラの主隊の次の攻撃も予想される状況であろう。イスラエル側にとって、1分1秒の鎮圧の遅れがどんな重大事に発展しないとも限らぬ緊迫した情勢であったろう。したがって守備隊側の反撃が、自他の犠牲を顧みる余裕のないほど呵責ないものであったことも想像される。

第二に、新聞局提供のニュースがきわめて、作為的に料理されている点である。6月22日のプエルトリコ人の証人尋問に関する法廷の模様、特に岡本の発言について、6月22日付新聞局の「コミュニケ」なるものは、この点つぎのようにのべている。

----フリィシュ(裁判長)は、通訳に宣誓させたのち、岡本に対しその姓名をのべるように、また彼が弁護人を選任したか否かをのべるように求めた。岡本はマイクに向かって何回かブツブツ言ったが、裁判官が大きな声で言うように求めたとき、彼は突然大声ではっきりと「岡本公三」と言った。彼の弁護士について尋ねられたとき、岡本は「私は、弁護してくれるよう頼もうとは思わないし、私は弁護士がどこから来るのかも知らない」と言い、「しかし、・・・もし裁判が弁護士なくては行われないというなら、これを受ける」と加えた。

 通訳によると、岡本は「私は裁判の事実を拒否しない。裁判において私は私の政治的意見をのべたいと思う」と言っており、これは岡本が起訴状の事実を認めたものと見られる。(傍点筆者)

 私は、ここにかなり長く、「新聞局」の「コミュニケ」の一部を直訳したが、これで見られるとおり、新聞局からの速報は実に細かく、具体的であり、各社は、ほとんどそのままこれを記事にしていることを示したかったからである。

 そして、この記事に乗ったか、乗せられたか知らぬが、各社は、二、三の例外(

ロンドン・タイムスとヘラルド・トリビューン等)を除いて、ほとんど、「岡本は(事件の)事実を認めた」と大見出しを付して裁判の模様を報じていた。

 しかし、622日の法廷は、証人のプエルトリコ人が帰国するために、われわれの言う「証拠保全」のために裁判所が証人を取調べたものだ。正式には法廷はまだ開かれていない。それゆえ、裁判冒頭の手続きである起訴状の朗読も行われていないし、起訴状にのべられている事実の認否も行われるわけがない。政府の「新聞局」ともあろうものが、これくらいの裁判手続きを知らぬはずがないのにあえて「起訴状の事実」を認めたと見られるとコメントを付している点を私は指摘したいのである。

 同日のロンドンタイムスのこの部分に関する記事(テルアビブ同社特派員発)を対比のため紹介しよう。

------明日イスラエルを発つ証人から証言を得る予備審理で、岡本氏は通訳を通じて次のようにのべた。「私は、裁判の事実を拒否しない。裁判において私は私の政治的見解をのべたい」彼はなお、弁護士をつけることを欲しないと言い、「もし裁判が弁護士なくしては行われないのなら、私はこれを受ける」と加えた。

 タイムスは、新聞局の「岡本は起訴状の事実を認めたと見られる」云々の報道に対して、あたかも挑戦するように、「本日は、起訴状は読まれなかったし、事実の認否は行われなかった」とていねいに書いている。よけいなことだが、岡本に敬称「ミスター」をつけていたのは、私の知るかぎり、タイムスだけであった。

岡本の苦悩と自責

 この事件に関しては、日本の新聞が一番細かく報道している。そして、これらの記事の中には、事件の核心に触れるような重要な材料もあるが、それ以上の追究は行われず、単に犯人を「未熟・狂信的若者」として書き出す材料にしか使われていない。たとえば、622日朝日新聞の夕刊は、在イスラエル日本大使館の松藤参事官らに対し、岡本が「犯行における自分の役割をしゃべった」という内容をつぎのように報道している。「それによると、(松藤氏か誰かの話によるとの意味)(岡本は)奥平から空港襲撃の役割として奥平や安田が発砲中に警官や警備兵から撃たれないようにするため、二人を護衛するようにいわれた」と言い、「警官の姿を捜して撃った」が乗客は狙わなかったことを力説した。岡本の持っていた弾倉はすべて弾が撃ち尽くされており、乗客に当らなかったとは考えられない状況から、岡本の話しぶりは、イスラエル当局に「弁護士はいらない。早く死にたいだけだ」と強がっているのとは裏腹に、軍事法廷で死刑を免れたいという弱気な心境に変わってきた印象だったという。------

 この談話から引き出される事実は、岡本は市民を狙わず警官を狙ったという点である。このことを記者に語ったのは、誰かわからない。またこれ以上事件にふれることは、おそらく、イスラエル当局が許さなかったのであろう。しかし、この談話からも、断片的な事実らしいことをちょっともらして、岡本が、「革命兵士からの弱気の」若者になったという印象を強く読者に与えるような作為はかなり見えすいていると思う。私は、この一事が万事といいたいのである。

 新聞報道を見る限り、岡本は、公判廷における起訴状事実の認否の際には、「撃ったことは認める」のみで、市民の殺害は認めていない。しかし、岡本の最終意見陳述でも明白なように、岡本は、この事件に対する自分の責任を少しも回避しようとしていない。岡本がこの裁判で自己を少しでも弁護するような態度は一貫して見せていないのである。

 最後に、717日の法廷で聞かれた岡本の最終意見陳述についての新聞の取り扱いにふれよう。

 この日法廷で岡本は赤軍派の「世界同時革命」の理論や革命戦争の過程における殺戮、破壊の不可避性等についてのべた後で、「われわれ三人は死んだあと、オリオンの三つ星になろうと考えていた。・・・殺した人間も何人か星になったと思う。世界戦争(革命戦=筆者註)でいろんな星がふえると思う。しかし、同じ天上で輝くと思えば心もやすまる」と結んだ。

 弁護人のクリッツマン氏は、岡本の発言が終わるとすぐ立ち上がり、「革命理論と星とを結びつける被告について精神鑑定を要求する」申し出ている。

 岡本の最終陳述に対する各新聞の報道ぶりも、大体クリッツマン氏と同じような反応であった。弁護人が岡本に一言「アイ・アム・ソリー」と言えないのかと言ったのに対し、岡本は黙って首を振ったというニュースとともに、「無辜な人々を殺し

て反省の色もない人間」「革命理論の後で死んで星になるなぞという人間」等々、一言で言えば、革命を生かじりしていきがっているほんとにクレージーな奴という取扱いである。

 私は、岡本の言う革命理論につての評価は別として、岡本が最後に「済まなかった」と言えなかったことに、本件に対する岡本の苦悩、自責の念が出ていると思う。法廷における岡本の態度は、事の正邪の判断はともかく、市民を殺したことに対して終始一貫して、「自分を殺せ」と叫んでいたとしか考えられないのである。死んだ人も自分たちと同じ星になると思えば、心もやすまるという最後の言葉に岡本の気持ちをよく出していると考える。

 私として残念なことは、このような岡本の態度が、逆にこの事件の真の意味を明らかにすることを不可能としたばかりか、完全にイスラエルによって利用され、さらに世界のジャーナリズムの宣伝材料にされている事実である。

 しかも、弁護士を職業とする私として、残念なことは、今回の軍事法廷の審理は、事件の真相究明に十分力を尽くしたとは言い得ない点である。

 

軍事法廷の審理への疑点

 この第一の疑点は、すでにのべた622日の証人調べにおける審理である。

 イスラエルの法廷は、陪審制度を除いて、大体イギリス流の訴訟制度を採用している。イスラエルの刑事訴訟法で見る限り、裁判官、検察官、被告人・弁護人の役割は、大体現在の日本における訴訟制度と変わりないようである。

 したがって、検察側の立証にたいし、被告人側は十分の準備をもって防禦に当る時間的余裕と手段が与えられるべきである。

 しかるに、622日のプエルトリコ証人の審理は、この原則がまもられていたであろうか。

 クリッツマン弁護士が、岡本の弁護人として正式に任命されたのは、公判日の当日であり、それまで、同氏が岡本と接見したのは一度、それも2時間弱に過ぎない。岡本自身イスラエル人であるクリッツマン氏が何者であるか、信頼できるかどうかも判断できなかったであろうし、会話も通訳つきであったろう。この短時間の会見で、岡本と十分打ち合わせができるような状態ではないことは自明である。

 しかも、22日の証人は被告人側にとってきわめて重要な証人であった。なぜなら、彼はイスラエル人ではないし---したがってイスラエル政府の影響力の少ない---唯一の証人であり、事件の現場にいた者である。裁判所は、なぜにこの重要な証人調べに当って被告人側に準備の時間を与えなかったのであろうか。

 第二点は通訳の問題である。この通訳が法廷用語に通じていないために岡本の発言に誤解を生じさせるようなことが起こっている点は、すでにのべた。

 さらに、証人調べに当っても、現場の見取り図も示されていないし、事件当時の具体的な状況もほとんど取調べられていない。

 第三点は、新聞でもしばしば報道されている岡本の「告白書」なるものの取扱いである。

 この「告白書」が書かれた経緯が、司令官ゼービー少将との自殺契約に基づいたことは新聞でも大きく報道されている。

このような状況で作られた「告白書」なるものは、日本の法廷であれば、まず「任意

性」の問題で裁判所は証拠能力(証拠とすること)を認めないであろう。

 第四点は、法廷における物証等の取調べである。裁判記録を見ていないので新聞記事による推測を出ないが、ほとんど証拠調べらしい調べ方はされていない。たとえば、検事は法廷に被害者の身体から摘出した弾丸を提出し、これが岡本の撃った弾であることを条痕等で立証しているらしいが、一体その弾が被害者にどのような傷害を(ないし致命傷)を与えたのか等についてどのような証拠が提出されているのであろうか。

 岡本以外の者が撃った弾丸がすでに被害者に死をもたらしたものでないということが証明されているのか。

 岡本は、銃を撃ったことは認めているが、市民を狙って撃ったことや、市民を殺したことは認めていないと思われるので、これらの証拠調べにつき多くの疑問点を感ずるのである。

 しかも最も重要な点は、本件真相究明のため、被告人側には、唯一岡本その人一人しかいないということである。

 したがって、私がイスラエル弁護士会宛の書簡で強く訴えたように、このため岡本と真に協力できる弁護士---このような弁護士がいるとすれば日本人弁護士以外にいないが---を絶対に必要とする。

 私の入国拒否は、この点で全く不可解である。私は過去において、イスラエルやアラブの問題に全く係わり合いを持たなかった。私の受けている事件のなかには、学生事件が5件あり、そのうち赤軍の事件(塩見孝也君の弁護)も1件あるが、そのようなことが理由となったとは考えられない。

              *         *

 以上の点、特に私の弁護活動を拒否したことで、私は、イスラエルの法廷が法の定める適正手続によって公正な裁判を行ったとは信じがたいのである。

 この事件だけを見れば、それのもつ残酷さは、人の心を曇らすものがあろう。しかし、この事件の残酷さを無意味さをことさらに強調し、それによってかえって世界の各地で行われている無辜の市民の大量虐殺、人間存在そのものへの脅威の事実がおおいかくされている現実を見過ごすことは許されない。岡本の弁護を決意したとき、私は、この事件の真相究明とともに、岡本らをしてこの計画に走らせた現実をどのような視点で弁護に入れるかを考えざるを得なかったのである。                                     [流動19729月号より]