パレスチナ解放闘争の歴史

パレスチナ問題とは何か?

 

1.問題の核心

パレスチナ問題の核心は、アラブ諸国に散在するパレスチナ難民キャンプで棄民ゆえの無権利状況と迫害を生きる人々の姿に現れている。そして、祖国を放逐された離散状態のパレスチナ人は、今や全世界に約1000万人にのぼり、民族自決権の回復=パレスチナ国家実現によって苦難の解決を求める抵抗運動に物語られている。

しかし、問題の解決は、1948年にパレスチナ人を放逐して誕生した人工的な「ユダヤ人国家」イスラエルの解体を意味するが故に、度重なる中東戦争を経て、1993年のイスラエル-パレスチナの和平合意(「オスロ合意」)に至り、パレスチナ自治政府の樹立まで進みながらも、欧米諸国政権を後ろ盾にしたイスラエルの「パレスチナ人=テロリスト」の非難、占領地に広がる不法イスラエル入植地の拡大で更に土地を奪われ、民族的な権利の抵抗運動は「テロ行為」とされて武力弾圧に直面して現在にまで至っている。

 

2.歴史的な背景

そうした状況下で、パレスチナ問題は、“二つの民族間の宿命的対立である”とする視点が喧伝され、一般化されて来たが、果たしてそうだろうか。
 「パレスチナ人」という民族概念は、「ユダヤ人国家」イスラエル誕生で放逐・棄民化された人々の共通の運命をてこに形成されたものであり、「ユダヤ人」対「パレスチナ人」の対立の図式は、「ユダヤ人」がパレスチナを占領して国家建設を始めるなかでできあがったもので、現代になって作りだされた“新しい事態”に他ならない。
 19世紀末、ユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れる東ヨーロッパを中心に、シオニズムが始動した。「ユダヤ人国家」建設にディアスポラ・ユダヤ人の被る差別と迫害(ユダヤ人問題)の解決を求めるシオニズムは、『旧約聖書』の中の“約束の地”と解釈されるパレスチナを“ユダヤ人の郷土”と見定め、そこをユダヤ教徒だけの領土=「ユダヤ人国家」として獲得する運動を開始した。このシオニズムによって、パレスチナ問題は発現させられたのである。

本来、パレスチナ地域の住民は大半がイスラム教徒で、それにキリスト教徒とわずかなユダヤ教徒がいたが、人々は宗教のいかんにかかわらず一様にアラブとして一体化して暮らしていた。

第一次世界大戦後イギリス委任統治下で本格化するシオニズムの運動は、ユダヤ人(おもにヨーロッパの)のパレスチナへの大量入植によって人為的に「ユダヤ人」の実体をつくりあげていった。土地と生活権を脅かされシオニズムに抵抗するアラブ住民は、アラブ民族独立要求の運動を体現し、イギリス委任統治権力に弾圧される運命にあった。

さらにアラブ住民は、パレスチナでのシオニズムの展開を正当視するヨーロッパ世界の圧力にも直面した。パレスチナのアラブ住民がユダヤ人(教徒)の国家建設に脅かされ抵抗するとき、ヨーロッパは、非ユダヤ教徒のアラブがユダヤ教徒に敵対しているという構図を組み立て、アラブ住民がシオニズムに対決する真の理由を黙殺した。ヨーロッパで、ユダヤ人問題をつくりだしてきた宗教の違いによる敵対の見方を、パレスチナの対立に当てはめたのである。

1948年、前年の国連決議に基づき、イスラエルがパレスチナ住民の放逐とその後の彼らの離散の将来をてこに誕生したことは、ヨーロッパのユダヤ人問題が解決したのではなく、宗教の違いによる敵対の形をとって新たにパレスチナに持ち込み、再生させたことを示していた。

 

3.問題の現状
   近年、パレスチナ問題は、パレスチナ人自身の主体化のなかで克服されようと                        

する段階を迎えている。そのことを端的に示すのは、パレスチナ人が、彼らの解放の目標とするパレスチナ国家建設を、宗教のいかんを問わない、現イスラエル市民をも構成員のなかに考慮する非宗教的・民主的国家に求めている点である。中東の民衆の苦悩は一様に、宗教、宗派、国籍等の違いが敵対要因として作用する世界でのそれである。

パレスチナ人は、非「ユダヤ人」として60年以上にわたって蒙った受難を通して、またさまざまな宗徒が混じり合っているアラブ諸国での無国籍者であるがための異端者の苦悩を通じて学んできた。パレスチナ人は、他者への敵対のなかで自己解放はありえないということを自覚している点で、“ユダヤ人問題”解決の重要な担い手でもあるといえるであろう。

                                            (藤田進「パレスチナ問題の核心」より)パレスチナ問題とは何か?